人間とは何か
人間と宗教の研究
・自然と対立する人間
旧約聖書の創世記には、神は自然を創造した後、自分の姿に似せた泥人形をつくり、それに神の息を吹き込んで人間をつくり、自然や物を人間の生活の糧、道具として、自由に使えばよいという許可を与えたと記されている。ここに、人間と自然、心と物との対立関係が肯定されている。
・人間は自然の大生命の顕現
一年を通じて雨が定期的に降り、作物や草木が毎年同じ時期に再生と結実を繰り返す東南アジア地域では、自然の移り変わりに応じて種を蒔き収穫を繰り返し、自然に従い、自然との調和、融和の中で生きてきた。人びとは自然の山、土、川、滝の内に自然の大生命の働きを感得し、それとの融和において生き、自らをも自然現象をも、自然の大生命−神−の顕現と感得する
・イスラム文化圏での個人と共同体
イスラム文化圏のアラビアの砂漠地帯では、人間の生命維持にとって最も不可欠である水が不足している。集団の水のありかに対する知識と、鋭い五官、特に嗅覚、空気中の湿度に対する鋭い感覚と、共同作業による水の発見と掘削は人間にとっての死活問題であるから、セム族系文化圏では共同体、特に血族集団としての共同体の意思、組織運営、族長の絶大な権力と統制力による指導、各成員に共同体維持のために道徳律を遵守せしめる等、共同体としての生活が個人の生活、権利に優先している。
こういう社会組織では、今日西欧社会でいう民主主義的社会組織の下での個人の権利、自由は認められ難い。個人の権利、自由を主張できるほどに水、食糧、社会設備等について余裕がない。現在サウジアラビア等のアラブ諸国では、海水を淡水にかえるための国家的設備に多大の経費、維持費を費やして、飲み水と生活用水の確保につとめている。共同体の大規模な活動なしには、このような水の確保は個人では出来ない。イスラム圏社会では、共同体の権利が個人の権利に優先する。
・西欧文化圏と東欧文化圏での個人と共同体
アジア文化圏では、既述の、自然、人間、神、空、全てが本質的に同質であるという世界観の下に同胞意識、共同体成員としての意識が強く、互いに対立した個人としての自覚が少ない。従って、共同体の長の意志、権威に従う性質が強い。中国にも日本にも、
長いものに巻かれろ" という諺がある。これは、共同体の長、権力者に従うのが得策という程の意味である。
これはアラブ文化圏での、共同体の族長の下に結束するのと似ているが、彼らの間には、神との契約を族長に従うことによって遵守するという、神への隷属という関係が基本になっている。これに対し日本では、家長や共同体の長の意志に従うことは、同胞である各成員間に調和をもたらす。共同体全体に調和、協調、活力、前進を生み出すという信念の下に共同体の長に従う。また、共同体成員間で会議を重ねる。同じ行為でも、目指すところは非常に違う。
日本人は働き過ぎる、個人の権利、自由を犠牲にしても会社のために働くとヨーロッパ人やアメリカ人から非難されるが、これは働くことによって金を儲けるという意図もあるが、基本的に日本人を意識的にあるいは無意識的に動かしているものは、共同体内に調和、協調、発展をもたらそうとする共同体意識が強く働いているためである。日本人はよく、「自分のためにしているのではない、皆(共同体)のためにしているのだ」と言うが、これは上述のことと一致する。
・自然と対立する人間
・人間は自然の大生命の顕現
・イスラム文化圏での個人と共同体
・西欧文化圏と東欧文化圏での個人と共同体